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意味を知るとグッと良くなる

【歌詞解釈】indigo la End/通り恋 追伸「あなたが好き」までつながる意味とは・・

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聞かれたら困る話だけど 歌に乗せたらいいよね
二人以外にとっちゃどうでもいい 通り恋みたいな話

もう泣いてもいい 乱れてもい 壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

もうぼくらの中に 刻み込まれた 一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

大体あなたのことは 分かってるって 言ったかもしれないけど
得意料理も知らないままだった

笑い話になるまではもう 忘れてしまいたいよ

もう泣いてもいい 乱れてもいい 壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

もうぼくらの中に刻み込まれた 一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

知らない顔があったのも 

消えない過去があったのも
全部拭い去る前に 教えて欲しかった
砂鉄みたいに吸い寄せられたから 冷たい部分も知ってた
同じ言葉でまやかし合った そん

な結果で終わりなの?

あなたがしてた指輪のサイズを 遠回しに聞いたことも
靴のサイズだけ直接聞いちゃって 笑われたことも

覚えてるだけで 実感がないんだよ でもさ、やっぱり好きなんだ

何でもない 何でもないと 言い聞かしては 辿るあなたの
記憶に包まれてしまうよ

そう歌う声が枯れるだけなら一部とはいえない大きな愛を
叫び続けるよ

通り雨が降った4月の夜

追伸「あなたが好き」

 


indigo la End「通り恋」



 

「通り恋」とはなんなのか

 

通り恋、という造語の元作られた歌。


恋というのは大きな大きな感情の渦があって、嬉しかったり悲しかったり、どこまでも大げさなくせして、通り過ぎていく
まるでそれは台風のような存在だろうか、台風は嬉しいことはあまりないが


人はそんな恋をバカにすることもできるし、もっと真面目に向き合うこともできる


川谷絵音という男がどこかで恋のバカらしさを抱えながらも、歌うことによって後者を選んできたという恋愛観がひしひしと伝わってくる一曲。
一体、恋をすることはくだらないのでしょうか?それとも・・

 

 

 

恋はくだらない?

聞かれたら困る話だけど
歌に乗せたらいいよね
二人以外にとっちゃどうでもいい
通り恋みたいな話

 

まず出だしにて恋の下らなさとそうは思えないほどの気持ちの強さに板挟みにされ、歌うことで気持ちを綴ることにしたストーリーが描かれます。

恋愛に夢中な状態と、それを人に言えない心境
なぜなら2人以外にはどうでもいい話だから
なぜなら恋なんて人生という強大な存在の元では、通りすがるものでしかないんだから
だから歌にすることを選んだ

 

壊れてもいいから”大きな愛”と向き合う主人公

 

もう泣いてもいい 乱れてもいい
壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

「泣いてもいい」「乱れてもいい」「壊れてもいい」
サビに歌われるこの歌詞でとてつもなく悲しく、程度が甚だしい状態だと感じ取ることができます。
気持ちに向き合えば、壊れてしまう、そんな強烈な気持ちを一身に感じながらも、
それでも愛してることだけを歌い出す、歌うことは主人公にとって向き合うもっとも最適な手段だったということなのでしょう

 

もうぼくらの中に 刻み込まれた
一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

 

 

「もうぼくらの中に刻み込まれた」
という過去形の文から全ては終わった後なのだとわかります

「大きな愛を 閉じ込めたままじゃいられない」
という歌詞から、ずっと閉じ込めようとしていたことも想像できます。
そうやって閉じ込めることができなかったから、解放することを選んだ。

それが歌うことだったと伺えます。

 

忘れられずに後悔の滲む”まやかしあった日々”

 

大体あなたのことは 
分かってるって 言ったかもしれないけど

得意料理も知らないままだった
笑い話になるまではもう
忘れてしまいたいよ

 

失恋した後、一番いい解決法ってなんでしょうか
それは”きっぱり忘れること”だと思います、しかし忘れることは簡単ではありません。
忘れようとすればするほど忘れない、記憶は感覚に勝てないのです。

そして主人公に残っている強い後悔は「得意料理も知らないままだった」ことから始まる
きっと別れてから気づいたことだったんでしょう。

別れてから気づくことを悲しむのは恋の延長戦のようなもの
でも相手はもういないから、その延長戦が如何にもどかしいものか・・よっぽど忘れてしまいたいはずです。

 

知らない顔があったのも
消えない過去があったのも
全部拭い去る前に 教えて欲しかった
砂鉄みたいに吸い寄せられたから
冷たい部分も知ってた
同じ言葉でまやかし合った
そんな結果で終わりなの?

 

ここの歌詞からは別れた理由や経緯が推測できます。

彼女には主人公の知らない過去があった
彼女は本当の自分を見せてくれなかった。

「砂鉄みたい」と表現するのも、お互いがくっつき合うための道具のような存在だと
嘆いています

 ”まやかしあった”という普段使わない表現がありますね
まやかしとはごまかしたり見かけを装ったりすること
お互いそんな馴れ合いを最初から最後までしていて、そんな結果で終わったことに後悔の念が絶えません
だから「全部拭い去る前に 教えて欲しかった」という強い思いに繋がります。

 

記憶があっても実感のない辛さとは

 

あなたがしてた指輪のサイズを
遠回しに聞いたことも
靴のサイズだけ直接聞いちゃって
笑われたことも

覚えてるだけで 実感がないんだよ
でもさ、やっぱり好きなんだ

 

そして一見、微笑ましいような思い出も歌われていますね。
指輪のサイズを聞いてることから、結婚が連想され、仲が深かったことが伺えます。

そのあとに「覚えているだけで 実感がないんだよ」という歌詞
実感とは

実物に接したように、生き生きと感ずること。

この意味から察するに、”あなた”という実物に触れた感覚がないということ
なぜならそれは、”まやかしだったから”
彼女がみせていた彼女はまやかしだったから、実物じゃなかったから、実感がない
それでも好きな気持ちが強く残っている、まやかしを好きになったのだとしても。

 

何でもない 何でもないと 
言い聞かしては 辿るあなたの
記憶に包まれてしまうよ

「何でもない」そうやって感じないように言い聞かせたけれど
言い聞かすたびに辿ってしまって
辿ってしまうたびに「記憶に包まれてしまう」いろんなことを覚えてはいるから

忘れたくても覚えている 覚えていても実感がない。

これがどれだけ中途半端で後味の悪い気持ちであろうか・・

 

恋の下らなさを消し去った上で、なぜ追伸にて愛を綴ったのか

 

そう 歌う声が枯れるだけなら
一部とはいえない大きな愛を
叫び続けるよ

通り雨が降った4月の夜
追伸「あなたが好き」

 

そしてそうやって考えてるうちに「一部」だとか「2人以外にとっちゃどうでもいい」なんてことは忘れて
「一部とはいえない大きな愛」だと、捉えた上で、叫ぶことも厭いませんでした

この歌詞からは「全てをかけて向き合う」そんな構図が浮かびます。

 

そして、「通り雨が降った4月の夜」
4月の夜という歌詞は”ハルの言う通り”でもあった歌詞ですね。
夜に泣いたことを通り雨とかけたのでしょうか

そして追伸「あなたが好き」という独特な締め方で終わっていきます。

 

 


追伸とは手紙に最後に付け加える文章のこと

なぜ本文ではなく追伸に書いたのか、というのが大事なところ。
「拭い去る前に教えて欲しかった」「2人にとっちゃどうでもいい」「通り恋のような話」「壊れてもいい」
そういった気持ちが本文だったとするならば。

追伸とは「それでも」、という意味が込められてるのかなと思います。

 

追伸という表現を使った巧みさ

 

川谷絵音がどこまで、考えていて

そして自分がどこまでその想いに沿ってるのかはわかりませんが

「追伸」という表現に勝手に感心いたしました。

 

追伸というのは普段の手紙で言うならば、本文に付け加えて他愛のないことを書く場所です。

 

しかし、本文がどうあれ、あなたが好きという想いを追伸に書くことで

様々な気持ちと分け隔てられた特別な想いに昇華しています。

 

それでもあなたが好き、と言えることを「追伸」としたことで

 

周りから見えればどうでもいいこと

自分にとっては特別なこと

 

そういう感覚を1行だけで表現してると、そういう意味で感心しました、勝手に。

 

MVについて

今回のMVはいままでとは少し違いましたね。

 

川谷絵音しか出ない

さらに歩いて歌うのみというシンプルな構図。

 

ピントこそ合っていませんが、後ろの背景から、夜道を1人で歩いているようなシチュエーションとなっています。

 

恋人と別れた後に黄昏ている、という構図が浮かび上がります。

 

恋愛とは、人生の一部である、ということを表現した結果

その一部のシーンだけ抜き取るようなMVになったのではないでしょうか。

 

この曲に一貫して言えることは、小さくて壮大、という恋のテーマ。

だから、画面の中という限られた構図の中で、川谷絵音は感情に顔を歪めたのでしょう。

 

恋という人生の一部にのめり込む。

恋が通りすぎるだけのものだとするならば、下らないものかと思えるのかもしれない

だから「馬鹿みたい」と恋してた自分を卑下することはよくある。

 

でも憂鬱な気持ちを前にしては、馬鹿にできない。

結局は自分の捉え方なんだなと思います。

 

恋は世界から見ればくだらないけれど

今の自分から見れば”自分の全て”にすらなりうる。

 

誰かが「くだらない」と言っても、そんな常識に当てはめる必要はなくて

この歌のように喉が枯れるほど叫んでしまえばいい。

 

いったい恋をすることはくだらないのでしょうか?

 

 

濡れゆく私小説(通常盤)