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【歌詞考察】星野源/不思議 恋から愛に向かう歌、なぜ「二人を歩き出す」なのか

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君と出会った この水の中で

手を繋いだら 息をしていた

ただそう思った

彷徨う心で 額合わせ

口づけした 正座のまま

ただそっと笑った

希望あふれた この檻の中で

理由もない 恋がそこにあるまま

ただ貴方だった

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの

何もかもが違う

なのになぜ側に居たいの

他人だけにあるもの

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に足る想い

瞳にいま 宿り出す

きらきらはしゃぐ この地獄の中で

仕様のない身体 抱き締め合った

赤子に戻って

躓いて笑う日も 涙の乾杯も

命込めて目指す

やがて同じ場所で眠る

他人だけの不思議を

”好き”を持ったことで 仮の笑みで

日々を踏みしめて 歩けるようにさ

孤独の側にある

勇気に足るもの

遺らぬ言葉の中に

こぼれる記憶の中に

僕らはいつも居た

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に似た強い

君想った日々を すべて

乗せて届くように詰め込んだ歌

孤独の側にいる

愛に足る想い

二人をいま 歩き出す

 


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こんにちは

今回は、星野源さんの「不思議」について考察/解釈していこうかなと思います。

本曲は音も素晴らしいのですが、歌詞にも工夫されている部分がとても多いです。

 

まずタイトルについて考えてみましょう

 

 

楽曲のタイトルは「不思議」です

不思議という言葉を調べると以下のように説明されています。

 

そうであることの原因がよくわからず、なぜだろうと考えさせられること。そういう事柄。

 

 

本人はインタビューの中でこのタイトルについてこのように述べていました。

 

 

「どういうところが好きなの?」と聞かれた時、ほとんど答えられないんです。一生懸命言語化すれば答えられるんですけど。愛も恋も目には見えないけど、この感情は確実にあって、でも絶対一言では言葉にできないのが「不思議」だなと。

 

 

歌詞のひとつひとつにはどのように、それらの意味や想いが綴られているのでしょうか、一緒にみていきましょう。 

受動的で冷めている主人公の心情

 

君と出会った この水の中で

手を繋いだら 息をしていた

ただそう思った

 

彷徨う心で 額合わせ

口づけした 正座のまま

ただそっと笑った

 

希望あふれた この檻の中で

理由もない 恋がそこにあるまま

ただ貴方だった

 

水の中で君と出会った、そんなフレーズから始まる本曲、「水の中」という表現には息ができない、何も聞こえない、といった閉じられた生きづらい世界を表現しているのかなと感じました。

 

「希望あふれた この檻の中で」と世界に対する皮肉さも表現しています

 

そんな中で”あなた”と出会いますが、正座のままくちづけをするというぎこちなさ

 

「ただそう思った」「ただそっと笑った」「ただ貴方だった」「ただ」という言葉を3回も繰り返す部分に、事実だけを受動的に見つめ、判然としない主人公の姿が見えてきます。

 

主人公のなかに生まれた疑問

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの

何もかもが違う

なのになぜ側に居たいの

他人だけにあるもの

 

「何もかも違う なのになぜ側に居たいの」

そこに主人公は一種の矛盾を感じます。

同じであることが、人と人を結びつけるはずなのに今、”違う”ことが貴方と僕を結びつけている不思議

 

なぜ?、なぜ?主人公は考えるようになります。

 

言葉にできない、気が済まない

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

 

”好き”は確実にそこにあるのに文字や言葉に表せない様子が描写されます。

 

なんで好きなんだろう、考えても言葉にできない、不思議は不思議なままで

解明できない、自分のものにできない

 

まだ やだ 遠く 脆い

愛に足る想い

瞳にいま 宿り出す

 

この「まだ やだ 遠く 脆い」というフレーズには解釈の余地があるのですが、ここでは以下のように解釈してみます。

”まだわからない 伝えられないのはやだ あなたは遠くて 言葉は脆い”

 

そうして、漠然とした想いを探る過程が断片的に語られます。

 

しかし、そうやって考えることは、想うことに変わっていく。

受動的だった主人公の瞳には、想いが宿って行きます。

 

愛に必要だったのは、言葉じゃなく想いだったんだとここでは歌っているんだと思います。

 

皮肉な世の中、どうでもいい自分

 

きらきらはしゃぐ この地獄の中で

仕様のない身体 抱き締め合った

赤子に戻って

 

2番になると、「きらきらはしゃぐ この地獄の中で」とまた皮肉な世界が描かれます

 「仕様のない」とは”どうでもいい”とか”ばかばかしい”といった意味があり

「抱き締め合った」という言葉ではあえて「締」という漢字が使われているのが面白いですね。ただ動作としての事実を伝えているだけなのが表現されています。

 

「赤子に戻って」とただ身を委ねている様子も描かれます

 

目指したい場所、他人だけの不思議

 

躓いて笑う日も 涙の乾杯も

命込めて目指す

やがて同じ場所で眠る

他人だけの不思議を

 

些細な幸せに、向かうため人はその命を込める

 

「やがて同じ場所で眠る」の場所については、世界といった概念を指しているのか、それとも家など場所的なことを指しているのかが判然としませんね。

眠るとはそのまま睡眠のことなのか、それとも死後の話なのか、というのもわかりません。

ただ本曲のドラマが”同居”を扱っていることから、同じ屋根の下といった意味での「同じ場所」なのかなと僕は思っています。

 

この歌詞では、場所という意味では「同じ」なのに他人という意味で「違う」その不思議さを表現しています、

 

なぜ仮の笑みなのか

”好き”を持ったことで 仮の笑みで

日々を踏みしめて 歩けるようにさ

孤独の側にある

勇気に足るもの

 

ここで「仮の笑み」というなにやらネガティブな言葉が出てきて、楽しくないの?と思ってしまいますが、この辺りにも好きを前にして戸惑っている、主人公の一筋縄ではいかない感じが現れてるのかなと思いました。

 

それでも、戸惑いながらも、孤独ながらも、いや孤独だからこそ、目指したい場所がある。だから主人公は勇気を持って、「日々を踏みしめて 歩けるように」笑います。

 

世界にとってはどうでもいいこと

遺らぬ言葉の中に

こぼれる記憶の中に

僕らはいつも居た

 この歌では度々「世界」のことが語られます

「希望あふれた この檻の中で」

「きらきらはしゃぐ この地獄の中で」

これが主人公が持つ世界の捉え方です。

 

「遺らぬ言葉の中に こぼれる記憶の中に」という言葉の中には、世界にとっては「僕ら」なんて居ても居なくてもいい存在なんだという皮肉な事実があります。

 

ここで使われる「遺」という漢字には「後世に伝えられる」という意味があります。漢字一文字でも、表現が工夫されているのはとても面白いところですね。

 

想い続けることで得た”何か”

 

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に似た強い 

そしてまた、サビのフレーズが繰り返されます

ここまで主人公は不思議を解明しようと、自分のものにしようと、考えていました

 

だけど考えることは、いつしか想いに変わった

違いを求めることこそが、に変わっていった。

「愛に似た強い」という、このフレーズは完結していません。

 

愛に似た強い”何か”を手に入れたということを、言葉にしないことで、表現しているのかなと考えています。

 

それは「想い」であり紛れもない「愛」です

 

君想った日々を すべて

乗せて届くように詰め込んだ歌

孤独の側にいる

愛に足る想い

 

その”何か”を手に主人公はその想いをとうとう歌として言葉に綴ります。

”貴方”の中にある”不思議”を解明したのではなく。

”不思議”を探究し続け、日々積み上げた”想い”そのものを歌にしたのです。

 

最初は”受動的”で”仕様のない”存在だった主人公が、ただ”違い”に惹かれて想いを積み上げた。

 

人と人の違いは一生埋まらない、同じにはなれない。

でも、だからこそ、想うことができる。

 

人はそれをと呼ぶのだと、この歌を通して感じました

 

きっと愛は不思議を想う日々の中にあるのです。

 

僕らの世界で生きていく

二人をいま 歩き出す

 

ラストであるこのフレーズは、この曲のとても大切な部分なのだと思います。

 

主人公はずっと、苦しい世界を歩いていました。

 

息苦しい、檻の中、地獄のような、遺らない、そんな世界です。

 

しかし主人公は最後に、世界で生きることは苦しいけれど”僕らの世界”で生きていくことは尊いのだと気づきました。

 

世界の大きさが変わったとも言えるかもしれません。

”世界を歩く”のではなく”二人を歩く”ただそれだけで、檻も地獄も些細なことだったんだなと気づきます。

 

不思議を想うことが主人公の世界を変えた

 

そんな歌だったんだなと、僕は感じました。

 

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以上で考察/解釈は終わりです。長めの内容になりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

以下はおまけのような形で進めさせていただきます。

 

恋から愛へ向かう物語

 

僕はこの歌を「恋から愛に向かう」歌なのだと解釈しています

その話の前に「愛」「恋」の違いについて解釈してみましょう。

 

ここにはいろんな解釈があるのですが、一番参考になったのは

 

「会いたい」「焦がれる」といった満たされない、求める状態のことを”恋”と言い

それが満たされた時に”愛”という言葉で表現されるという説明です。

 

「求める」から「与える」に変化するのです

 

主人公は最初、受動的で、赤子のように過ごしていましたが、最後には歌を通して「想い」を伝え、与える側に回ります。

 

その流れをみて僕は、この歌は「恋から愛に向かう物語」なんだなと解釈しました

 

逃げ恥の主題歌でもある「恋」を歌ってから5年後に、この「不思議」という曲が現れ、星野源さんの結婚が発表される。

 

源さん自身も「恋」から「愛」というステージに変わっていく。

 

”不思議”という楽曲には、そういった音楽の枠を超えた特別さもこもっているように個人的に思い。とても感慨深いなと感じております。

 

あくまで本人は実話や経験談ではなく、思いの表現として曲を書いてると、言及しています。

 

あと、実話だと思われても困るというか…(笑)。自分の経験談を書いているわけではなく、自分にとっての「愛」とか「恋」とか、「人を好きになるということ」を音楽で表現して、向き合ったものにしたいという思いで作りました。

 

なぜ「を」なのか

 

最後に「二人をいま 歩き出す」というフレーズについてもう少し考えてみましょう

なぜ「を」という助詞を使用したのでしょうか

言い方のパターンとしては以下のようなものがあります。

 

二人がいま 歩き出す

二人でいま 歩き出す

二人はいま 歩き出す

二人をいま 歩き出す

 

こうやって並べてみても「を」は異質ですよね。

考えてみると、そもそも「二人」の意味が違います

「が」「で」「は」での二人とは、「二人の人間」という人物のことを表していますが

 

「を」にすると「道」「世界」といった、意味合いに変わってきます

 

「世界をいま 歩き出す」「長い道をいま あるきだす」といった言い方に当てはまります。

 

「二人を歩き出す」という表現は「世界が変わった」ということを表現するために使われたのかなと思います

 

世界を生きるのではなく、二人を生きる

 

すこし取り留めのない話にはなりました。

 

きっと星野源さんは、こういった明確な意思ではなく、これが一番しっくりくるから、という意味で、直感的にこの言葉遣いをしたのだと思います。

とても鋭くも、素敵な表現だなと思いました。

 

不思議さは、想いは永遠に続く

誰かを愛おしく想う時、そこにはきっと不思議さが内在しています。

 

不思議だからこそ、想うことができます。

さらに、その不思議さは一生解消されることはありません。

 

なぜなら僕らは完全に同じにはなれないから。

 

だからこそ「想い」は形を変えながらも永遠に続く

 

あなたは他人に対して、どんな不思議さを感じてますか?

そして、あなた自身もどんな不思議さを抱えてるのでしょうか。

 

●参考

<星野源「不思議」インタビュー>ラブソングに“150%”の自信「他人だからこそ起こる何かは、愛であり不思議」 - モデルプレス

 

 

「恋」と「愛」は、どう違うのですか? | ウェブ電通報

 

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