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【歌詞考察】星野源/不思議 恋から愛に向かう歌、なぜ「二人を歩き出す」なのか

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君と出会った この水の中で

手を繋いだら 息をしていた

ただそう思った

彷徨う心で 額合わせ

口づけした 正座のまま

ただそっと笑った

希望あふれた この檻の中で

理由もない 恋がそこにあるまま

ただ貴方だった

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの

何もかもが違う

なのになぜ側に居たいの

他人だけにあるもの

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に足る想い

瞳にいま 宿り出す

きらきらはしゃぐ この地獄の中で

仕様のない身体 抱き締め合った

赤子に戻って

躓いて笑う日も 涙の乾杯も

命込めて目指す

やがて同じ場所で眠る

他人だけの不思議を

”好き”を持ったことで 仮の笑みで

日々を踏みしめて 歩けるようにさ

孤独の側にある

勇気に足るもの

遺らぬ言葉の中に

こぼれる記憶の中に

僕らはいつも居た

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に似た強い

君想った日々を すべて

乗せて届くように詰め込んだ歌

孤独の側にいる

愛に足る想い

二人をいま 歩き出す

 


www.youtube.com

 

jvcmusic.lnk.to

 

こんにちは

今回は、星野源さんの「不思議」について考察/解釈していこうかなと思います。

本曲は音も素晴らしいのですが、歌詞にも工夫されている部分がとても多いです。

 

まずタイトルについて考えてみましょう

 

 

楽曲のタイトルは「不思議」です

不思議という言葉を調べると以下のように説明されています。

 

そうであることの原因がよくわからず、なぜだろうと考えさせられること。そういう事柄。

 

 

本人はインタビューの中でこのタイトルについてこのように述べていました。

 

 

「どういうところが好きなの?」と聞かれた時、ほとんど答えられないんです。一生懸命言語化すれば答えられるんですけど。愛も恋も目には見えないけど、この感情は確実にあって、でも絶対一言では言葉にできないのが「不思議」だなと。

 

 

歌詞のひとつひとつにはどのように、それらの意味や想いが綴られているのでしょうか、一緒にみていきましょう。 

受動的で冷めている主人公の心情

 

君と出会った この水の中で

手を繋いだら 息をしていた

ただそう思った

 

彷徨う心で 額合わせ

口づけした 正座のまま

ただそっと笑った

 

希望あふれた この檻の中で

理由もない 恋がそこにあるまま

ただ貴方だった

 

水の中で君と出会った、そんなフレーズから始まる本曲、「水の中」という表現には息ができない、何も聞こえない、といった閉じられた生きづらい世界を表現しているのかなと感じました。

 

「希望あふれた この檻の中で」と世界に対する皮肉さも表現しています

 

そんな中で”あなた”と出会いますが、正座のままくちづけをするというぎこちなさ

 

「ただそう思った」「ただそっと笑った」「ただ貴方だった」「ただ」という言葉を3回も繰り返す部分に、事実だけを受動的に見つめ、判然としない主人公の姿が見えてきます。

 

主人公のなかに生まれた疑問

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの

何もかもが違う

なのになぜ側に居たいの

他人だけにあるもの

 

「何もかも違う なのになぜ側に居たいの」

そこに主人公は一種の矛盾を感じます。

同じであることが、人と人を結びつけるはずなのに今、”違う”ことが貴方と僕を結びつけている不思議

 

なぜ?、なぜ?主人公は考えるようになります。

 

言葉にできない、気が済まない

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

 

”好き”は確実にそこにあるのに文字や言葉に表せない様子が描写されます。

 

なんで好きなんだろう、考えても言葉にできない、不思議は不思議なままで

解明できない、自分のものにできない

 

まだ やだ 遠く 脆い

愛に足る想い

瞳にいま 宿り出す

 

この「まだ やだ 遠く 脆い」というフレーズには解釈の余地があるのですが、ここでは以下のように解釈してみます。

”まだわからない 伝えられないのはやだ あなたは遠くて 言葉は脆い”

 

そうして、漠然とした想いを探る過程が断片的に語られます。

 

しかし、そうやって考えることは、想うことに変わっていく。

受動的だった主人公の瞳には、想いが宿って行きます。

 

愛に必要だったのは、言葉じゃなく想いだったんだとここでは歌っているんだと思います。

 

皮肉な世の中、どうでもいい自分

 

きらきらはしゃぐ この地獄の中で

仕様のない身体 抱き締め合った

赤子に戻って

 

2番になると、「きらきらはしゃぐ この地獄の中で」とまた皮肉な世界が描かれます

 「仕様のない」とは”どうでもいい”とか”ばかばかしい”といった意味があり

「抱き締め合った」という言葉ではあえて「締」という漢字が使われているのが面白いですね。ただ動作としての事実を伝えているだけなのが表現されています。

 

「赤子に戻って」とただ身を委ねている様子も描かれます

 

目指したい場所、他人だけの不思議

 

躓いて笑う日も 涙の乾杯も

命込めて目指す

やがて同じ場所で眠る

他人だけの不思議を

 

些細な幸せに、向かうため人はその命を込める

 

「やがて同じ場所で眠る」の場所については、世界といった概念を指しているのか、それとも家など場所的なことを指しているのかが判然としませんね。

眠るとはそのまま睡眠のことなのか、それとも死後の話なのか、というのもわかりません。

ただ本曲のドラマが”同居”を扱っていることから、同じ屋根の下といった意味での「同じ場所」なのかなと僕は思っています。

 

この歌詞では、場所という意味では「同じ」なのに他人という意味で「違う」その不思議さを表現しています、

 

なぜ仮の笑みなのか

”好き”を持ったことで 仮の笑みで

日々を踏みしめて 歩けるようにさ

孤独の側にある

勇気に足るもの

 

ここで「仮の笑み」というなにやらネガティブな言葉が出てきて、楽しくないの?と思ってしまいますが、この辺りにも好きを前にして戸惑っている、主人公の一筋縄ではいかない感じが現れてるのかなと思いました。

 

それでも、戸惑いながらも、孤独ながらも、いや孤独だからこそ、目指したい場所がある。だから主人公は勇気を持って、「日々を踏みしめて 歩けるように」笑います。

 

世界にとってはどうでもいいこと

遺らぬ言葉の中に

こぼれる記憶の中に

僕らはいつも居た

 この歌では度々「世界」のことが語られます

「希望あふれた この檻の中で」

「きらきらはしゃぐ この地獄の中で」

これが主人公が持つ世界の捉え方です。

 

「遺らぬ言葉の中に こぼれる記憶の中に」という言葉の中には、世界にとっては「僕ら」なんて居ても居なくてもいい存在なんだという皮肉な事実があります。

 

ここで使われる「遺」という漢字には「後世に伝えられる」という意味があります。漢字一文字でも、表現が工夫されているのはとても面白いところですね。

 

想い続けることで得た”何か”

 

”好き”を持った日々を ありのままで

文字にできるなら 気が済むのにな

まだ やだ 遠く 脆い

愛に似た強い 

そしてまた、サビのフレーズが繰り返されます

ここまで主人公は不思議を解明しようと、自分のものにしようと、考えていました

 

だけど考えることは、いつしか想いに変わった

違いを求めることこそが、に変わっていった。

「愛に似た強い」という、このフレーズは完結していません。

 

愛に似た強い”何か”を手に入れたということを、言葉にしないことで、表現しているのかなと考えています。

 

それは「想い」であり紛れもない「愛」です

 

君想った日々を すべて

乗せて届くように詰め込んだ歌

孤独の側にいる

愛に足る想い

 

その”何か”を手に主人公はその想いをとうとう歌として言葉に綴ります。

”貴方”の中にある”不思議”を解明したのではなく。

”不思議”を探究し続け、日々積み上げた”想い”そのものを歌にしたのです。

 

最初は”受動的”で”仕様のない”存在だった主人公が、ただ”違い”に惹かれて想いを積み上げた。

 

人と人の違いは一生埋まらない、同じにはなれない。

でも、だからこそ、想うことができる。

 

人はそれをと呼ぶのだと、この歌を通して感じました

 

きっと愛は不思議を想う日々の中にあるのです。

 

僕らの世界で生きていく

二人をいま 歩き出す

 

ラストであるこのフレーズは、この曲のとても大切な部分なのだと思います。

 

主人公はずっと、苦しい世界を歩いていました。

 

息苦しい、檻の中、地獄のような、遺らない、そんな世界です。

 

しかし主人公は最後に、世界で生きることは苦しいけれど”僕らの世界”で生きていくことは尊いのだと気づきました。

 

世界の大きさが変わったとも言えるかもしれません。

”世界を歩く”のではなく”二人を歩く”ただそれだけで、檻も地獄も些細なことだったんだなと気づきます。

 

不思議を想うことが主人公の世界を変えた

 

そんな歌だったんだなと、僕は感じました。

 

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以上で考察/解釈は終わりです。長めの内容になりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

以下はおまけのような形で進めさせていただきます。

 

恋から愛へ向かう物語

 

僕はこの歌を「恋から愛に向かう」歌なのだと解釈しています

その話の前に「愛」「恋」の違いについて解釈してみましょう。

 

ここにはいろんな解釈があるのですが、一番参考になったのは

 

「会いたい」「焦がれる」といった満たされない、求める状態のことを”恋”と言い

それが満たされた時に”愛”という言葉で表現されるという説明です。

 

「求める」から「与える」に変化するのです

 

主人公は最初、受動的で、赤子のように過ごしていましたが、最後には歌を通して「想い」を伝え、与える側に回ります。

 

その流れをみて僕は、この歌は「恋から愛に向かう物語」なんだなと解釈しました

 

逃げ恥の主題歌でもある「恋」を歌ってから5年後に、この「不思議」という曲が現れ、星野源さんの結婚が発表される。

 

源さん自身も「恋」から「愛」というステージに変わっていく。

 

”不思議”という楽曲には、そういった音楽の枠を超えた特別さもこもっているように個人的に思い。とても感慨深いなと感じております。

 

あくまで本人は実話や経験談ではなく、思いの表現として曲を書いてると、言及しています。

 

あと、実話だと思われても困るというか…(笑)。自分の経験談を書いているわけではなく、自分にとっての「愛」とか「恋」とか、「人を好きになるということ」を音楽で表現して、向き合ったものにしたいという思いで作りました。

 

なぜ「を」なのか

 

最後に「二人をいま 歩き出す」というフレーズについてもう少し考えてみましょう

なぜ「を」という助詞を使用したのでしょうか

言い方のパターンとしては以下のようなものがあります。

 

二人がいま 歩き出す

二人でいま 歩き出す

二人はいま 歩き出す

二人をいま 歩き出す

 

こうやって並べてみても「を」は異質ですよね。

考えてみると、そもそも「二人」の意味が違います

「が」「で」「は」での二人とは、「二人の人間」という人物のことを表していますが

 

「を」にすると「道」「世界」といった、意味合いに変わってきます

 

「世界をいま 歩き出す」「長い道をいま あるきだす」といった言い方に当てはまります。

 

「二人を歩き出す」という表現は「世界が変わった」ということを表現するために使われたのかなと思います

 

世界を生きるのではなく、二人を生きる

 

すこし取り留めのない話にはなりました。

 

きっと星野源さんは、こういった明確な意思ではなく、これが一番しっくりくるから、という意味で、直感的にこの言葉遣いをしたのだと思います。

とても鋭くも、素敵な表現だなと思いました。

 

不思議さは、想いは永遠に続く

誰かを愛おしく想う時、そこにはきっと不思議さが内在しています。

 

不思議だからこそ、想うことができます。

さらに、その不思議さは一生解消されることはありません。

 

なぜなら僕らは完全に同じにはなれないから。

 

だからこそ「想い」は形を変えながらも永遠に続く

 

あなたは他人に対して、どんな不思議さを感じてますか?

そして、あなた自身もどんな不思議さを抱えてるのでしょうか。

 

●参考

<星野源「不思議」インタビュー>ラブソングに“150%”の自信「他人だからこそ起こる何かは、愛であり不思議」 - モデルプレス

 

 

「恋」と「愛」は、どう違うのですか? | ウェブ電通報

 

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当サイトではさまざまな角度から、いろんな曲の歌詞考察を行なっております。

よろしければ他の記事を読んだり、いいね、シェア、フォローなどしてくれると嬉しいです。

あくまで、作品の解釈は人それぞれのものであり、正解はありません。なにかご意見あれば、ぜひコメントなどいただければと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【歌詞解釈】ずっと真夜中でいいのに。/ お勉強しといてよ 苦しみの中で生まれたもの、そして”失ったもの”を知って欲しい

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こんにちは。

 

 

 

ずっと真夜中でいいのに。より新曲「お勉強しといてよ」がアップロードされたので、考察させていただきます。

 

少し飛躍した考え方も含まれるので、個人的な意見として、ツッコミながら、面白がって見てくれたらなと思います。

 

 

本楽曲はMVも素晴らしく、鮮烈にイメージとし残っているのですが、本文では歌詞の解釈ということで、MVのことはいったん忘れますので、あしからず。

 

 

さっそく参りましょう。

 


ずっと真夜中でいいのに。『お勉強しといてよ』MV(ZUTOMAYO - STUDY ME)

 

質のいい病み感情が 溢れた時の
しょうがないって言葉は 照れくさい
想像力が無限大・魅力的なので
意味わかんない言葉にも 期待していい

昨日の思い出 お洗濯したって
相変わらず 乾かないや 寒がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから このまんま
焼き焼きだ 押し潰される無敵め

褒めあいライム・合図 変わらず
乾かないや 強がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから
孤のまんま ヤンキーヤンキーだ
現状維持の無敵め うおおお

ファンキーな直感で 今日の歌だって 変わってゆくなら
そんな理由で 飛び込んでみたいけど
ただ泣きたくて、謀っといて、 集めちゃった感情参考書です。
お勉強しといてよ 解いといてよ

(今日どうしよ?)も 前向きに(何時までだっけ?)すら
聞き返せない 危ないから 健康でいたい せめて 
結局ここまで 気持ち 育てられてしまったことが 全て
謙遜してるけど 病みたくないから
此処で いって

去年の思い出 お洗濯したって 相変わらず
乾かないや 寒がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから 個のまんま
焼き焼きだ 押し潰される無敵め

褒めあいライム・合図 変わらず 乾かないや 強がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから
子のまんま ヤンキーヤンキーだ 現状維持の無敵め うおおおおお

ファンキーな直感で 今日の歌だって 変わってゆくなら
そんな理由で 飛び込んでみたいけど
ただ泣きたくて、図っといて、 集めちゃった感情参考書です。
お勉強しといてよ 解いといてよ

私を少しでも 想う弱さが 君を苦しめていますように
それすらも しょうがないって思えるほど 同じくらい
浸ってくれていますように 私を少しでも 想う強さが
君を悩ませていますように 答えを犠牲にしたって 傷つけたって
しょうがないって イタいって 明るいみたいだね

ファンキーな直感で 今日の歌だって 変わってゆくなら
損な理由で 飛び込んでみたいけど
ただ泣きたくて、くやしくって、 集めちゃった感情参考書。
お勉強しといてよ 解いといてよ

不安定なこと 選んで 今日の歌だって 変わってゆくなら
お互いにとっても 素敵なことなの?
今はこれしか、聞けなくて、。
集めちゃった感情参考書です。
お勉強しといてよ 問い説いてよ?
 

 youtubeの公式コメントより引用

 

病みの肯定から始まる

質のいい病み感情が 溢れた時の
しょうがないって言葉は 照れくさい
想像力が無限大・魅力的なので
意味わかんない言葉にも 期待していい

 序盤から、質の良い病み感情という謎単語が出てきます。

 

病み感情の質がいいとはどういうことでしょうか?

サビの歌い出しにはこんな歌詞もあります。

ファンキーな直感で 今日の歌だって 変わってゆくなら
損な理由で 飛び込んでみたいけど

 

 

ファンキーとは「憂鬱な、落ち込んだ」という意味。

つまりは病み感情ですが。

 

「ファンキーな感情で今日の歌だって変わってゆくなら」

 

という歌詞、そのままの意味で捉えると、憂鬱な感情により表現(歌)が洗練されていく様子を描いています。

 


創造性に溢れている人は精神的に不安定なことが多いというのは有名な話ですが。

その世界観をもとに、”主人公(ニラちゃんは関係ないです!)”は不安定な環境や闇に飛び込んでいったのかなと思いました。

 

 

歌、表現を高めるために。

 

なぜそこまでするのでしょうか?

 

君のための憂鬱

この歌では”君”という人物が登場します。

 

私を少しでも 想う弱さが 君を苦しめていますように

 

そして序盤の歌詞にこう綴られています。

 

想像力が無限大・魅力的なので

意味わかんない言葉にも 期待していい

 この歌詞を解釈すると”主人公”は”君”から期待されているのかなと、捉えられます。

 

相関は不明ですが「君がいて水になる」という楽曲でもこの似たような歌詞が出てきます。

変な言葉使う僕でなきゃ 「君がいて水になる」より

 

ここから、解釈できることは、”主人公”はかなり独特な感性を持っていて。


”君”はそんな独特さに魅力を感じて、主人公と関係を持ったのかなと思います。

 

そして、”主人公”はその期待に応えることに必死だったのかなと思います。

 

不安定なこと 選んで 今日の歌だって 変わってゆくなら
お互いにとっても 素敵なことなの?

 

果たしてその関係は素敵なものだったのでしょうか・・・

”感情参考書”は主人公の葛藤の跡

ただ泣きたくて、謀っといて、 集めちゃった感情参考書です。

 

 

苦しみに飛び込み続けて、病み感情と向き合い続けた主人公

 

そうして、個性・表現を求める中で、主人公が”君”に本音を突きつけました

 

お勉強しといてよ

 

お勉強しといてよ 解いといてよ

 

”君”の期待に応え続けた主人公

 

 

病みの中で集め続けた感情参考書

 

なんとなくイメージとしては、日記やノートを思い浮かべました。

 

それを持ち出して、お勉強しといてよ、と要求します。

 

この文脈からして、お勉強しといてよの意味とは

「私の気持ちを理解して」ということなのかなと思います。

 

 

 

 

私を少しでも 想う弱さが 君を苦しめていますように
それすらも しょうがないって思えるほど 同じくらい
浸ってくれていますように

 

私を思い、苦しんで欲しい。

それも”しょうがない”と思えるほど同じくらい浸っていて欲しい。

 

共感して欲しいという主人公の強い望みです。

 

だから、私の感情を「お勉強しといてよ」と

 

主人公の本音が語られるようになりました。

 

 

ここまでの意味をまとめると。

 

苦しみの意味を自分の中で必死に見出そうとしたけれど、結局、くやしくて、虚しくなってしまって、理解を求めることにつながった

 

とても切実な歌だったのだなと、勝手ながら、切なさを覚えます・・

 

所々の面白い表現

以上が僕の個人的な解釈でした。

 

 

ゴッホ(画家)やヘミングウェイ(小説家)やロベルト・シューマン(作曲家)はすべて時代に名を残す表現者ですが、いずれも闇の世界を漂い、さいごには自殺してしまった人々です。

 

”君”から期待される形で、それを実行した主人公は葛藤の末の要求として、理解してもらうことを求めたのでしょう。

 

 

誰かに何かを求められることは、時として、自分の何かを失うことにもつながります。

 

その失ったものすら、相手に知られずに終わることほど虚しいことはないです。

ちゃんとお勉強して欲しいですね。

 

 

 

と色々と見解を述べましたが・・

 

みなさん自身でも、いろんな解釈があるとおもいます。

 

面白い解釈あれば教えていただけると、嬉しい限りです。

 

本曲の歌詞は、上記であげた歌詞以外にも、面白い言葉使いが見られます。

 

昨日の思い出 お洗濯したって
相変わらず 乾かないや 寒がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから このまんま
焼き焼きだ 押し潰される無敵め

 

褒めあいライム・合図 変わらず
乾かないや 強がりな季節に
ぁ~勿体ぶっていいから
孤のまんま ヤンキーヤンキーだ



過去を洗っても、乾かない、という表現や
(濡れたまま、悲しいまま、忘れられない)

 

そのあとの焼き焼きだという語感のよい歌詞も
(乾かないなら焼いてしまえとヤケクソになる?)

 

勿体ぶっていいから このまんま が になったりになったり

(子供になる孤独になる)

 

ヤンキーヤンキーだという歌詞からも、やさぐれていく風景が見えてきます。

 

 「ライム」についてはいまだ、意図がわかりません。

 

こういう少しの”意味のわからなさ”や”遊びのある表現”もずっと真夜中でいいのに。が作り出す魅力の一つですね。

 

個人的な印象ですが、ACAねさん本人が、独特さに溢れているので、先ほど述べたストーリーがやけにしっくりきます(僕だけでしょうか)

PVも色々と解釈してるので、見解がまとまれば、記事あげるかもしれません。

 

それではまたの機会でお会いしましょう。

拙い記事でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

文章がつぎはぎなのは本当に許してください。

 

 

 

 

 お勉強しときます。

 

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【歌詞解釈】indigo la End/花傘 「美」が悲しみを防ぐ傘となる

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曇りガラスで隔てられてた
もっと見たくて 恋しちゃったんだ

ツバメ飛ばした 君の裸に
見合うような 僕になれるかな

魅惑を払いきれない がらんどうだった身体が
染まりきった 先が怖いけど


花のようなベイビーガール
いつも見てる先はそっぽ
気づかないふりする度に心がちと濡れる

さよならの雨がパラパラと降る予報です
小雨のうちだったら 心拭くのもまだ簡単なのにできない

恋の宵立ちさせない傘が 邪魔だなんて まだ思えないんだ

夜一夜 止まなくて
それでも思いながら
低く飛んだツバメを見てた

不機嫌なベイビーガール いつも見てる先はそっぽ
気づかないふり する度に心がちと濡れる
さよならの雨が パラパラと降る予報です
小雨のうちだったら 心拭くのもまだ簡単なのにできない

幕電に期待しちゃう 君はまだ僕の花傘
お墓参り 行けなくてごめん

殺伐な雨が君を許さなかった日から
恋したんだよ 勝手に君を差したりしてさ


いなくなったベイビーガール 優しく鳴る音で今日も
花のような裸を考えて 切なくなったりするんだよ

 

 


indigo la End「花傘」

 

ボツになってた記事でしたが、MVがアップロードされたので、それについての解釈も含めて、記事にします。

花傘の意味

川谷絵音の歌詞は考察したくなる、というのは個人的な話ですが。

 

それは、造語によるものです、この「花傘」という言葉の意味を考えていきながら、歌詞考察を進めて行こうかと思います。

 

他にも、「幕電」「宵立ち」「夜一夜」など、普段使わないような言葉が散見されますので、そこについても一緒に考えていきましょう。

 
MVに出てくる「花」についても、最後に書いています。

主人公の方から好きになったという構図

曇りガラスで隔てられてた
もっと見たくて 恋しちゃったんだ

ツバメ飛ばした 君の裸に
見合うような 僕になれるかな

 

曇りガラスとは、半透明に加工されたガラスです。ほとんど見えません。

「恋しちゃったんだ」という歌詞から、主人公から恋をしたということがわかります。

 

曇りガラスで何を隔てられて、何をもっと見たかったのでしょうか。

ここはベターに「君の心」なのかなと捉えております。

「ツバメ飛ばした」という表現

 なぜツバメなのかという疑問ですが、ツバメという歌詞は後にもう一度出てくるので、そのときに説明します。

 

「裸」という表現もなんだか赤裸々で、この曲の印象深いところです。

似合うような僕になれるかな」と主人公の自信のなさを歌っています。

 

魅惑を払いきれない がらんどうだった身体が
染まりきった 先が怖いけど 

 

 

そうして彼女に惹かれきった主人公、「魅惑を払いきれない」ということは
払おうとしていた、という捉え方ができます。

 

この、「先が怖いけど」「魅惑を払いきれない」
という不可抗力な心情こそが、この曲のテーマとなっています

なぜ先が怖いのか。

 

花のようなベイビーガール
いつも見てる先はそっぽ
気づかないふりする度に心がちと濡れる

花とは「美しいもの」と捉えることができ「ベイビーガール」とは恋人のこと

 

その「美しい恋人」はいつもそっぽをみている
つまり恋人はどこか表面的だということ


それに勘付きながらも一歩を踏み込めない主人公。

その度、心が少しずつ濡れていく、悲しい思いが少しずつ現れている状況です・・

 

 

さよならの雨がパラパラと降る予報です
小雨のうちだったら 心拭くのもまだ簡単なのにできない

 

お別れの瞬間を感じるようになる、それを予報と表現しています。
まだ雨は来ていない。

今のうちに別れていれば悲しみをぬぐい切れるのに
別れ切ることが出来ない。

 

なぜ、雨が降ることを予感しながらも主人公はその場を離れないのか

「花傘」の意味がすこしづつわかってきます。

 

 

恋の宵立ちさせない傘が 邪魔だなんて まだ思えないんだ

 

「恋の宵立ちさせない傘が」宵立ちとは、日が落ちる頃にその場を去ること


小雨のうちに、日が落ちる前にその場を去りたいけれども、去れない、それはなぜか

 

傘がそこにはあったのです。

夜雨が降るとわかっていても、傘があるから去ろうと思わない。

 

その傘こそが「花傘」

 

「花」とは美しいもの 「傘」とは雨(悲しみ)を防ぐもの

 

つまり彼女の「美しさ」が悲しみを防ぐ「傘」となる

そうした「花傘」によって主人公は悲しみから逃げ切る気概を失ってしまいました。

 

夜一夜 止まなくて
それでも思いながら
低く飛んだツバメを見てた

 

夜一夜 とは「一晩中」ということですね
止まなくてとは雨のこと、結局、宵立ちできず止まない夜雨を主人公は花傘を差しながら受けていました。


そしてツバメですね、ツバメと雨の関係について

これは単に「ツバメが低く飛ぶ時は雨が降る」という言い伝えがあるためです。

 

「ツバメが低く飛ぶと雨」というのがあります。

湿度が高いと餌となる虫が高く飛べなくなるため、ツバメも低く飛びます。  

これはツバメがとまっているエサを、とまっているときに食べる鳥ではなく、飛びながらエサを捕まえて食べるという種類の鳥(雛のときは別)ということからいわれるようになりました

 

 

つまり、この歌で出てくるツバメとは、「雨(悲しみ)」が降るか降らないかを示す、天気予報だったわけですね。

 

幕電に期待しちゃう 君はまだ僕の花傘
お墓参り 行けなくてごめん

 

正直、ここのフレーズで戸惑ったんですが、続けて解釈していきます


幕電とは、遠くで雷がなることにより、空が明るくなる現象ことです。

その明るさたるや一瞬なのですが、それにすら期待してしまう、主人公の切実な思いを描いています。

 

そして、お墓参り、突然の死ですね、ここで歌詞考察が止まっていたんですが、MVを見て少しスッキリしたので進めることとなりました。

 

殺伐な雨が君を許さなかった日から
恋したんだよ 勝手に君を差したりしてさ

 

いろいろと解釈をしてみたのですが、自分なりに「お墓参り」と自然とつなげることができませんでした


最初のサビに出てきた「さよならの雨の予報」とは「死の予報」だったのでしょうか・・病気なども考えられます。(MVではそういった描写はなかったですね)

 

なにかモチーフがあるのか、とても気になります。


殺伐な雨とありますが殺伐とは

(平気で人を殺傷するように)気風が荒々しいこと。


殺伐な雨が許さなかったという表現も気になるところ、罪を追求するというよりは、ゆるめなかったというニュアンスだと捉えます


殺伐な雨、病気なのか環境なのか、定かではありませんが、主人公はそういう環境下にいる彼女を好きになってしまったということでしょう。


君を差すという表現も傘を差すという表現と重ねているのがおもしろいところですね。

勝手にという言い方から、主人公は自分の個人的な雨(悲しみ)も彼女でごまかしていたのかもしれません。

 

いなくなったベイビーガール 優しく鳴る音で今日も
花のような裸を考えて 切なくなったりするんだよ

 

そして最後にも「いなくなった」と、ことの顛末を明言していますね。

 

そして「裸」という表現、なぜ、このような赤裸々な表現を序盤と最後に渡って綴ったのか。

 

「裸」のことしか考えられないというのは、彼女のことを「裸」までしか知ることができなかった。

ということなのかもしれないですね。

 

死んだ後も「裸」までしか考えることはできず、心までは覗けない。

知っていることと知らないことがある、あってしまう。


ただそれでも、恋している、切なくなる、主人公の中に彼女はまだいて、それがまだ小さくも花傘となっているのでしょう・・

 

MVで出てきた「花」について

 以上までが、歌詞の考察になります。

 

最後にMVに出てきた白い花に関しての考察をして終わります。

MVの中では2人は白い花を選んでいました。

 

そして冒頭と最後にて、その白い花がびしょびしょに濡れている様子が映されていますね。

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この花を調べたところ、おそらく白の「アネモネ」だと思われます。

 

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アネモネの花全般の花言葉

「はかない恋」「恋の苦しみ」「見捨てられた」「見放された」

 という意味があります。

 

この意味の由来は、神話により伝わるものなんだそうです。

 

アネモネの花言葉(季節、画像、英語・西洋の花言葉) | e恋愛名言集

 

ですが、花の色でも花言葉は変わります。「白のアネモネ」は「真実」「期待」「希望」という意味があるそうです。

それがびしょびしょに濡れているという、皮肉な表現にも見えますね・・

 

 

 


もうひとつ、ちなみにですが、「花傘」は造語だと冒頭で述べましたが

別名で「花傘」と呼ばれる花があります。

「ビジョザクラ」と呼ばれる花です(バーベナ

これはあまり関係ないかもしれませんが、ビジョザクラなんて呼ばれ方もなんだか、当てはまるようで面白いです。

 

バーベナ花言葉は「魔力」「魅力」です。

これもなんだか当てはまりますね・・

 

最後に

魅力というのはときに恐ろしいもので、悲しみにも鈍くなってしまうようです。

そういった切なさをindigo la End というバンドは繊細に表現していますね。

 

彼女が死んだことについての関係については曖昧なままですので・・

誰かわかる方いましたら教えてください。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【歌詞解釈】indigo la End/通り恋 追伸「あなたが好き」までつながる意味とは・・

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聞かれたら困る話だけど 歌に乗せたらいいよね
二人以外にとっちゃどうでもいい 通り恋みたいな話

もう泣いてもいい 乱れてもい 壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

もうぼくらの中に 刻み込まれた 一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

大体あなたのことは 分かってるって 言ったかもしれないけど
得意料理も知らないままだった

笑い話になるまではもう 忘れてしまいたいよ

もう泣いてもいい 乱れてもいい 壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

もうぼくらの中に刻み込まれた 一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

知らない顔があったのも 

消えない過去があったのも
全部拭い去る前に 教えて欲しかった
砂鉄みたいに吸い寄せられたから 冷たい部分も知ってた
同じ言葉でまやかし合った そん

な結果で終わりなの?

あなたがしてた指輪のサイズを 遠回しに聞いたことも
靴のサイズだけ直接聞いちゃって 笑われたことも

覚えてるだけで 実感がないんだよ でもさ、やっぱり好きなんだ

何でもない 何でもないと 言い聞かしては 辿るあなたの
記憶に包まれてしまうよ

そう歌う声が枯れるだけなら一部とはいえない大きな愛を
叫び続けるよ

通り雨が降った4月の夜

追伸「あなたが好き」

 


indigo la End「通り恋」



 

「通り恋」とはなんなのか

 

通り恋、という造語の元作られた歌。


恋というのは大きな大きな感情の渦があって、嬉しかったり悲しかったり、どこまでも大げさなくせして、通り過ぎていく
まるでそれは台風のような存在だろうか、台風は嬉しいことはあまりないが


人はそんな恋をバカにすることもできるし、もっと真面目に向き合うこともできる


川谷絵音という男がどこかで恋のバカらしさを抱えながらも、歌うことによって後者を選んできたという恋愛観がひしひしと伝わってくる一曲。
一体、恋をすることはくだらないのでしょうか?それとも・・

 

 

 

恋はくだらない?

聞かれたら困る話だけど
歌に乗せたらいいよね
二人以外にとっちゃどうでもいい
通り恋みたいな話

 

まず出だしにて恋の下らなさとそうは思えないほどの気持ちの強さに板挟みにされ、歌うことで気持ちを綴ることにしたストーリーが描かれます。

恋愛に夢中な状態と、それを人に言えない心境
なぜなら2人以外にはどうでもいい話だから
なぜなら恋なんて人生という強大な存在の元では、通りすがるものでしかないんだから
だから歌にすることを選んだ

 

壊れてもいいから”大きな愛”と向き合う主人公

 

もう泣いてもいい 乱れてもいい
壊れてもいい だけどあなたを
愛してることだけ 歌うよ

「泣いてもいい」「乱れてもいい」「壊れてもいい」
サビに歌われるこの歌詞でとてつもなく悲しく、程度が甚だしい状態だと感じ取ることができます。
気持ちに向き合えば、壊れてしまう、そんな強烈な気持ちを一身に感じながらも、
それでも愛してることだけを歌い出す、歌うことは主人公にとって向き合うもっとも最適な手段だったということなのでしょう

 

もうぼくらの中に 刻み込まれた
一部とはいえ 大きな愛を
閉じ込めたままじゃいられない

 

 

「もうぼくらの中に刻み込まれた」
という過去形の文から全ては終わった後なのだとわかります

「大きな愛を 閉じ込めたままじゃいられない」
という歌詞から、ずっと閉じ込めようとしていたことも想像できます。
そうやって閉じ込めることができなかったから、解放することを選んだ。

それが歌うことだったと伺えます。

 

忘れられずに後悔の滲む”まやかしあった日々”

 

大体あなたのことは 
分かってるって 言ったかもしれないけど

得意料理も知らないままだった
笑い話になるまではもう
忘れてしまいたいよ

 

失恋した後、一番いい解決法ってなんでしょうか
それは”きっぱり忘れること”だと思います、しかし忘れることは簡単ではありません。
忘れようとすればするほど忘れない、記憶は感覚に勝てないのです。

そして主人公に残っている強い後悔は「得意料理も知らないままだった」ことから始まる
きっと別れてから気づいたことだったんでしょう。

別れてから気づくことを悲しむのは恋の延長戦のようなもの
でも相手はもういないから、その延長戦が如何にもどかしいものか・・よっぽど忘れてしまいたいはずです。

 

知らない顔があったのも
消えない過去があったのも
全部拭い去る前に 教えて欲しかった
砂鉄みたいに吸い寄せられたから
冷たい部分も知ってた
同じ言葉でまやかし合った
そんな結果で終わりなの?

 

ここの歌詞からは別れた理由や経緯が推測できます。

彼女には主人公の知らない過去があった
彼女は本当の自分を見せてくれなかった。

「砂鉄みたい」と表現するのも、お互いがくっつき合うための道具のような存在だと
嘆いています

 ”まやかしあった”という普段使わない表現がありますね
まやかしとはごまかしたり見かけを装ったりすること
お互いそんな馴れ合いを最初から最後までしていて、そんな結果で終わったことに後悔の念が絶えません
だから「全部拭い去る前に 教えて欲しかった」という強い思いに繋がります。

 

記憶があっても実感のない辛さとは

 

あなたがしてた指輪のサイズを
遠回しに聞いたことも
靴のサイズだけ直接聞いちゃって
笑われたことも

覚えてるだけで 実感がないんだよ
でもさ、やっぱり好きなんだ

 

そして一見、微笑ましいような思い出も歌われていますね。
指輪のサイズを聞いてることから、結婚が連想され、仲が深かったことが伺えます。

そのあとに「覚えているだけで 実感がないんだよ」という歌詞
実感とは

実物に接したように、生き生きと感ずること。

この意味から察するに、”あなた”という実物に触れた感覚がないということ
なぜならそれは、”まやかしだったから”
彼女がみせていた彼女はまやかしだったから、実物じゃなかったから、実感がない
それでも好きな気持ちが強く残っている、まやかしを好きになったのだとしても。

 

何でもない 何でもないと 
言い聞かしては 辿るあなたの
記憶に包まれてしまうよ

「何でもない」そうやって感じないように言い聞かせたけれど
言い聞かすたびに辿ってしまって
辿ってしまうたびに「記憶に包まれてしまう」いろんなことを覚えてはいるから

忘れたくても覚えている 覚えていても実感がない。

これがどれだけ中途半端で後味の悪い気持ちであろうか・・

 

恋の下らなさを消し去った上で、なぜ追伸にて愛を綴ったのか

 

そう 歌う声が枯れるだけなら
一部とはいえない大きな愛を
叫び続けるよ

通り雨が降った4月の夜
追伸「あなたが好き」

 

そしてそうやって考えてるうちに「一部」だとか「2人以外にとっちゃどうでもいい」なんてことは忘れて
「一部とはいえない大きな愛」だと、捉えた上で、叫ぶことも厭いませんでした

この歌詞からは「全てをかけて向き合う」そんな構図が浮かびます。

 

そして、「通り雨が降った4月の夜」
4月の夜という歌詞は”ハルの言う通り”でもあった歌詞ですね。
夜に泣いたことを通り雨とかけたのでしょうか

そして追伸「あなたが好き」という独特な締め方で終わっていきます。

 

 


追伸とは手紙に最後に付け加える文章のこと

なぜ本文ではなく追伸に書いたのか、というのが大事なところ。
「拭い去る前に教えて欲しかった」「2人にとっちゃどうでもいい」「通り恋のような話」「壊れてもいい」
そういった気持ちが本文だったとするならば。

追伸とは「それでも」、という意味が込められてるのかなと思います。

 

追伸という表現を使った巧みさ

 

川谷絵音がどこまで、考えていて

そして自分がどこまでその想いに沿ってるのかはわかりませんが

「追伸」という表現に勝手に感心いたしました。

 

追伸というのは普段の手紙で言うならば、本文に付け加えて他愛のないことを書く場所です。

 

しかし、本文がどうあれ、あなたが好きという想いを追伸に書くことで

様々な気持ちと分け隔てられた特別な想いに昇華しています。

 

それでもあなたが好き、と言えることを「追伸」としたことで

 

周りから見えればどうでもいいこと

自分にとっては特別なこと

 

そういう感覚を1行だけで表現してると、そういう意味で感心しました、勝手に。

 

MVについて

今回のMVはいままでとは少し違いましたね。

 

川谷絵音しか出ない

さらに歩いて歌うのみというシンプルな構図。

 

ピントこそ合っていませんが、後ろの背景から、夜道を1人で歩いているようなシチュエーションとなっています。

 

恋人と別れた後に黄昏ている、という構図が浮かび上がります。

 

恋愛とは、人生の一部である、ということを表現した結果

その一部のシーンだけ抜き取るようなMVになったのではないでしょうか。

 

この曲に一貫して言えることは、小さくて壮大、という恋のテーマ。

だから、画面の中という限られた構図の中で、川谷絵音は感情に顔を歪めたのでしょう。

 

恋という人生の一部にのめり込む。

恋が通りすぎるだけのものだとするならば、下らないものかと思えるのかもしれない

だから「馬鹿みたい」と恋してた自分を卑下することはよくある。

 

でも憂鬱な気持ちを前にしては、馬鹿にできない。

結局は自分の捉え方なんだなと思います。

 

恋は世界から見ればくだらないけれど

今の自分から見れば”自分の全て”にすらなりうる。

 

誰かが「くだらない」と言っても、そんな常識に当てはめる必要はなくて

この歌のように喉が枯れるほど叫んでしまえばいい。

 

いったい恋をすることはくだらないのでしょうか?

 

 

濡れゆく私小説(通常盤)
 

 

【歌詞解釈】androp/Roots ”始まり”は悲しみのためか喜びのためか、その問いに答える

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例えば何を思ってきたか そいつが世界を作ってきた
だけれど元を辿ってみても 君は涙を作ってきた

駆けだす足を見つめる度 そいつが自分をつくってきた
だけれど傷ついた事全部
望んで出向いた訳じゃなくて
どうにかしてしまおうか そいつのその声は
どうすりゃ満足なのか ほら大層に叫ぶ

「全てを心に抱いてみせてよ 寂しい夢じゃいつもと同じ
全てを心に抱いて見せてよ 深呼吸して単純なもんだ」

例えば誰かの為にと思う 自分の中にはそいつがいる
だけれど誰かの為になんて 望まれるような自分じゃない

どうにかしてしまおうか そいつのその声に
誰が満足なのか 自問自答は廻る

「見せてよ 悲しい日々はこれでもう終わり
見せてよ 心に抱いてる全てを 深呼吸して
全てを 心に抱いてる全てを 君が望めば景色は変わる
全てを心に抱いて見せてよ 深呼吸して」


単純なもんだ

 


androp「Roots」(from 1st album "anew")

 

Rootsという曲

andropのデビューアルバム「anew」を飾った一曲はこのRootsという曲

 

まさにandropの技術の高さと、ボーカル内澤崇仁の独特な世界観を3分足らずで伝えきったandrop屈指の名曲。

 

「Roots」の意味は以下の通りになります。

物事の根元・起源。 

 

これを踏まえた上で、内澤崇仁さんの思いやこの曲の背景を考察していきたいと思います。

 

さらに最後の歌詞にすこし斬新で面白い表現が使われているので

そこにも注目したいと思います。

 

この曲の登場人物

この歌では「そいつ」「君」「自分」「誰か」
というキャラクターが出てきます、この言い回しがこの歌の独特なところ

ここの解釈で曲の解釈は全て変わる為、意見の分かれるところですが。

色々考えた結果。
「そいつ」=「ありとあらゆるルーツ」
「君」=「過去の自分」もしくは「愛する人?」
「自分」=「今の自分」
「誰か」=「他人」

と解釈した上で、考察します。

「物事」を作り出すときに生まれるものとは・・

例えば何を思ってきたか そいつが世界を作ってきた
だけれど元を辿ってみても 君は涙を作ってきた

 「例えば何を思ってきたか」思想という”ルーツ”について歌ってますね

 

そいつ=思想 という考えができます。


でも思想というルーツの元で「君」は涙を作ってきた。
つまり、世界は”思想”によって作られてきたけども、思想によって”君”の悲しみも作ってきた、という因果関係を歌ってます。

 

今回では「君」という登場人物を「過去の自分」と捉えています。

 

同アルバムの「Nam(a)e」という曲では、君という表現がもう1人の自分として扱われており
後に出る「echoy boy」という曲でも「過去の自分」という表現が用いられてるので、そういう解釈をしていますが
「君」が愛する人と解釈できる余地があることも、述べておきます。

 

 傷つく自分を無視できない

 

駆けだす足を見つめる度 そいつが自分をつくってきた
だけれど傷ついた事全部
望んで出向いた訳じゃなくて
どうにかしてしまおうか そいつのその声は
どうすりゃ満足なのか ほら大層に叫ぶ

 

「駆けだす足を見つめる度」
これも”ルーツ”です。

 

そいつ=駆け出してきた自分

自分はそのおかげ作られてきた
「だけれど傷ついた事全部 望んで出向いた訳じゃなくて」
おかげで今を生きているけれども、その中で必然的に傷つくことがたくさんあった。


「そいつのその声」とは、悲しんでいる自分の声ということでしょうか

つまり、悲しんでる自分の声も無視はできない、と解釈できます。


自分の未来を作ることは楽しいけれど、傷ついてしまうから、楽しいことと傷つくことのせめぎ合いになって「どうすりゃ満足なのか」わからない
どうにかしたい、そんな迷いに対してのメッセージが次のサビで綴られます。 

 

喜びも悲しみも全て抱きしめる

「全てを心に抱いてみせてよ 寂しい夢じゃいつもと同じ
全てを心に抱いて見せてよ 深呼吸して単純なもんだ」

 結局、ルーツの上では傷つくこと全てを拒絶することはできない
だから”傷ついたこと”も”未来を作り上げたこと”も全てを抱いて見せてよ、と歌っています


難しく考えてしまう自分がいるけれど、そもそも「苦しい」「楽しい」全てが”ルーツ”であり”生きてる意味”だとまとめてしまえば
これだけ単純なことはない、全てを抱くというのはそういうニュアンスがあると思うんです。


「単純なもんだ」という1フレーズだけで、力がふっと抜けるような歌い方がとても開放的です。

 

歌詞ではサビに「」が入っている

 anewのアルバムには歌詞カードがありませんが

公式ページにて公開している歌詞では、サビに「」が入っています。

 

”悩んでる自分に対してのメッセージ”という構図がそこには感じられます。

androp

 

 

自分と他人の関係

 

例えば誰かの為にと思う 自分の中にはそいつがいる
だけれど誰かの為になんて 望まれるような自分じゃない

 そして2番の歌詞では「誰か(他人)」という存在が登場します。

「誰かのために」と思える自分がいるが「誰かのために」の対象になり得ない自分がいたりもする。

つまり「与える」「与えられる」の関係性のなかで「与える」ばかりの自分に、世の中の不公平さ感じるべきかというジレンマを感じます。

 

どうにかしてしまおうか そいつのその声に
誰が満足なのか 自問自答は廻る

 

そしてまた、「どうにかしてしまおうか」と悩み始めます


「誰が満足なのか」という歌詞、”誰かの為に”と思うことは大切だけれど、自分はそんなこと思われていない
ならば「誰」が満足するための世界なのか、自問自答を繰り返していきます。

 

 

「見せてよ 悲しい日々はこれでもう終わり
見せてよ 心に抱いてる全てを 深呼吸して
全てを 心に抱いてる全てを 君が望めば景色は変わる
全てを心に抱いて見せてよ 深呼吸して」
単純なもんだ

 

そしてラストのサビへ 「見せてよ」と歌います、すべてのルーツを見せてよ、今の全てを見せてよ、という意味です


「悲しい日々はこれでもう終わり」と強い決心が感じられます。

 

そして「君が望めば景色は変わる」という歌詞の中で一つの結論を出します。

 


1番で歌われた「何かを思ってきた時、駆け出してきた時 傷ついて涙してきた」ということ
2番で歌われた「自分が望まれる存在ではなかった」ということ

 

 

悲しいことがあって複雑になるけれど誰かのことを考えると複雑になるけど

その複雑さを抱いたまま、”自分”が新しい景色を望むだけでいい

そのためには悲しいことを含めて全てを抱いて 深呼吸してみるだけでいい

 

「単純なもんだ」で歌は終わっていきます。

 

ラストサビのこだわり

以上で歌詞の考察、解説になりますが

この歌詞でひとつだけ、説明できてないことがあります。

 

この歌詞の最後は”単純なもんだ”で終わりますが

 

このフレーズが「」の中に含まれていません(1番では含まれています)

 

この違いに意味がないわけがありません。

つまり、「」の中は悩んでいた自分が未来を切り開くためのメッセージでありましたが。

メッセージではなく今の自分の気持ちという形で着地しました。

 

すごくこれ大事な部分だと思うんですね、音楽を聞いてるだけでは気づかない表現です。

 

MVとの関係性が素晴らしい

ミュージックビデオではストップモーションで歩いたりスケボーで進んだりするアニメーションが展開されています。

 

最初立ち止まってるところから”進む”ので、まずは「始まり」を表しています。

 

そしてもう一つ注目すべきは、ストップモーションのメイキングを写しているということ。

 

MV見てる側からも気の遠くなるような作業がどんどん早くなっていき、走っている足に当てはめられていきます。

 

この足にアニメーションを当てはめるというのは、”ルーツをたどる”という意味が込められていて、過去に歩いた足跡を、改めてなぞって描いている

 

ということだと思います。

 

アニメーション=自分のルーツを辿っていくことの比喩

 

そして最後のシーンでは、なぞっていたアニメーションの紙がくしゃくしゃになり消えて、もう一度立ち止まってまた歩き始めます。

その時に「単純なもんだ」というフレーズで終わる。

 

とても綺麗な終わり方ですね、こう解釈してMVを見てみると、「なるほど」となります

ならなかったらすいません。

 

また、こういった歌詞を解釈する中で、あなた自身の生き方を考えることができることも音楽から受けられる恩恵の一つだと思います。

 

今回の曲では「自分を作り上げたルーツには悲しみも喜びもある」

とした上で「それらを心に抱いて見せてよ」と歌っています。

 

あなた自身にどんなルーツがあり、あなたはその全てを受け入れられるのか

自分も改めて考えさせられました。

 

androp最高です。

 

 

 

 

 

【歌詞解釈】崎山蒼志/潜水 すごく孤独で内向的なのに解放感を覚える、崎山マジック、意味を考察

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「潜水」

昨日、崎山蒼志くんの新曲がアップロードされました。

 

youtubeにてコメント欄には「すごい」「天才」「言葉にならない」

などなど、思い思いに書かれていましたが・・・

 

いう通り言葉にならないほどの天才でしたね、紛うことなきです

 

 

彼の歌は、理論からなるものではなく、若さあってこその独特な情緒が現れていて、正直言って歌詞考察なんておこがましいことなんですが。

 

 

とても今回の歌は個人的に響くものがあったので

今一度、自分なりの解釈を伝えていこうと思いました。

 

歌詞考察

 


崎山蒼志「潜水 (with 君島大空)」(MV)

 

春の風感じて渚へ向かう 転がってる幸せを避けながら
春の風が潮風に変わり
もうすぐだなぁ あと少し あと少し


夏はそうあそこの島まで届いていて そこらでは雨が降り出した
花束を忘れて身を投げる 

窒息 入水 潜水 夏の陰 走馬灯


千切れるほど抱いた不平不満を
愛している 愛しているの
数え切れないほど拾った不幸と共に

千切れるほど抱いた不平不満を
愛している 愛しているの
数え切れないほど拾った不幸と共に


もう息をするのも忘れて
闇の踊る方へ闇の踊る方へ

 

もう息をするのも忘れて 闇踊る方へ
最後の夢を 最後の夢を見よう

 

千切れるほど抱いた不平不満を
愛している 愛しているの
数え切れないほど拾った不幸と共に

 

千切れるほど抱いた不平不満を
愛している 愛しているの
数え切れないほど拾った不幸と共に

 

目が覚めた なんだか立ち眩む
外はまだこんなにも暗いなぁ
気持ち悪くなって服を脱ぐ
びしょ濡れになった潮の香り

 

聞いて書いたのでミスがあったら指摘してください。

まずは序盤

 

春の風感じて渚へ向かう 転がってる幸せを避けながら
春の風が潮風に変わり
もうすぐだなぁ あと少し あと少し

 

春の風、という少し穏やかな描写ですが、「転がってる幸せを避けながら」

という歌詞が表すように、世の中の明るい場所から逃げようという雰囲気が感じ取れます。

 

「あと少し あと少し」この待ち遠しいような言い方に、どこか切なくなります・・

 

夏はそうあそこの島まで届いていて そこらでは雨が降り出した
花束を忘れて身を投げる 

窒息 入水 潜水 夏の陰 走馬灯

 

「夏はあそこの島まで届いていて」

あそこの島とはどこなんでしょうか。

主題歌となっているドラマのタイトルでは「さよなら、また向こう岸で」なので、こことの関わりも注目かもですね。

 

「花束を忘れて身を投げる」

また花束という、穏やかな表現が現れました、幸せや贈り物の象徴である花束。

誰かからもらった幸せを表してるのかもしれません・・

そんなことも忘れて海の中へ潜っていきます。

 

「窒息 入水 潜水 夏の陰 走馬灯」

ここの深海に入り込んでいくような描写がとても好きです。

”窒息”と苦しい描写から ”入水” ”潜水” と水に飲み込まれていく。

 

そして最後は走馬灯へ意識の世界へと入り込んでいきます

 

千切れるほど抱いた不平不満を
愛している 愛しているの
数え切れないほど拾った不幸と共に

 

そして主人公自身の心境が語られる。「不平不満を愛しているの」、きっと主人公は感情や想いを出すことができなかった

 

「千切れるほど」想いを抱いていた


不幸がたくさんあっても、不平不満を自分の中で抱くだけで、すこし救われた
だから、不平不満を何よりも愛した。

 

走馬灯の中で思い出される主人公の人生と結論。

とても悲しいです。

 

もう息をするのも忘れて
闇の踊る方へ闇の踊る方へ

もう息をするのも忘れて 闇踊る方へ
最後の夢を 最後の夢を見よう

 

そして、潜水の描写へと戻る。
先ほどは走馬灯のようだった世界から、海の中


ゆらめく海の中では、光が少しか届かずに、まるで闇が踊っているように見える
もう息をするのも忘れている、苦しくもなく、水中という人間が生きられない場所を受け入れてます。

 

そして「最後の夢を見よう」と歌う、「夢」とはなんなのか

 

「走馬灯」でもない「幸せと不幸が転がってる場所」でもない「海の中」でもない
とは「過去」でもなく「世界」のどこでもなく「今や未来」ですらない。

 

自分にしかない幻想の世界

 

そんな存在し得ない、自分だけの空間に、深海という光の届かない場所で
辿りつこうとしたのかもしれない・・

 

目が覚めた なんだか立ち眩む
外はまだこんなにも暗いなぁ

気持ち悪くなって服を脱ぐ
びしょ濡れになった潮の香り

そうしてサビに入った後、音は静かになる

 

最後は目が覚める、立ち眩むということは、現実の世界なんだろう
海の中に潜って、目指した場所へは行けなかった。
だから「外まだこんなにも暗いなぁ」とがっかりするような声

 

”外は”と助詞が”は”であったり

”まだ”と言っていたりするという部分から、外、以外の世界をまるで知ってるかのように歌っています。

 

「気持ち悪くなって服を脱ぐ」「びしょ濡れになった潮の香り」

 

まだ気持ち悪いという感情はある
潮の香りもする。ここは海だ。

 

そうやって、現実に引き戻された様子を描く


そこをわざわざ描写するところにどこか遣る瀬無さを感じます・・

 

まとめ

 

君島大空さんの編曲すごくよかったですね、意識が海に溶けるような描写と、現実とが表現されていて、本当に海の中に入ったような感覚になります。

 

崎山蒼志くんは前にフェスで見たんですが、個人的にえらく惹かれてしまって。

歌もそうなんですが、とても声が情緒的

 

泣き出しそうな、嗚咽にも近いその歌声は、喉じゃなく心を使って歌ってるのだと、そういう魅力が彼にはあると思ったのが自分なりの見解です。

若さゆえの魅力なのかもしれません。

 

この歌は非常に内向的です。

 

幸せも花束も全て避けて忘れて、自分だけの世界に入り込んでいく。

内側へと内側へと、入っていく。

 

でも、なんでか、異様なまでの”壮大さ”と”開放感”を感じる

 

海の中で体が溶けていき、心が裸になり、海そのものになっていく。

まるで自分もそうなったかのように、思考を溶かされます。

 

崎山蒼志くんのあっての表現だなと思いました。

 

もしかしたら、成長するにつれ、こういった表現もできないのかもしれないですね・・。

 

ただ、こうやって周囲のアーティストとのコミュニケーションや経験もこれから増えるだろうし

そうやって崎山蒼志というアーティストがどういう可能性を持つのか。

すごく楽しみです。

 

 

潜水 (with 君島大空)

潜水 (with 君島大空)

  • 崎山蒼志
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

【歌詞解釈】中村佳穂/きっとね! 影を肯定してくれる曲が表す”開放感”

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「きっとね!」というこの曲、最初に聞いた時は妙に「陰鬱」さを感じる曲だな、とそう思いました。

 

メロディーの明るささながら。

 

「苦しいぐらいがちょうどいい」などと言われると。

 

なぜ秘密は多い方がいいのか。

そこに込められた意味を求めたら。

 

「あぁ確かにそうだな」と腑に落ちたので、そこまでの思考を

ここに書き出そうと思いました。

 

www.kkbox.com

中村佳穂というアーティスト

中村佳穂はフジロックの生放送でみたのと、インタビューを読んだ程度ですが

とにかくこの人はなんだか陽気なんだけども、どこか等身大な人物で。

 

アーティストとして、とても足元が付いているというか。

どこか不器用な面も今だにみえていて

 

どこかで、そこをある程度クリアしてやっとアーティストになったんだと、そういったインタビューの内容がとても面白かったです。

 

そういう人物像、アーティスト像も含めて、考察していきました。

 

歌詞考察

何度も何度も何度も触れる
いつか懐かしい場所に着いたなら

何度も何度も何度も触れる
いつか好きな人ができたなら

 触れるというのは「秘密に」ということでいいと思います

 

きっといつか、これからも何度も、必然的なきっかけで、自分の罪悪感の跡である、秘密に触れていく。

 

そういう、ところからこの歌は始まります。

 

きっとね!秘密は多い方が
どうだろう!優しくなれるかも
いつかね!思い出した時に
苦しいくらいが丁度いいの

 そして、ここからサビへ、ここで思ったことなんですが、みなさんは「秘密」ってなんだと思いますか。自分の考えは最後に述べようと思いますが、それもひとつのテーマなのかなと思います。

 

影あるところに光あり。

秘密とはきっと影であり、それはある意味光を示す存在でもある。

 

だから光を持てる、優しくなれる

 

そうやって、穏やかにいきてるうちでも、どこかでまた影に苦しめられるかもしれない。

それでも、苦しめられた分だけ、光はまた強くなる。

そういう解釈をすると、とても腑に落ちるところがあります。

 

いき延びるたび
秘密あちこち街に隠したいの
いき延びるたび
掘り返しては味を確かめたいの
いき延びるたび
秘密あちこち僕から見つけたいの
いき延びるたび
とっておきの秘密を君に預けたいの

 

ここでまた、秘密の話

どこかに影を落としていく、また掘り返してく

 

そして、そうやってとっておいた、秘密をいつかの人に預けたい。

 

きっと自分もそうやって優しくなれたように、「あなた」も優しくなれるだろうから。

 

結局、秘密ってなんなんだとおもいますか?

 

秘密って優しさや罪悪感の成れの果ての一つ、だと思うんです。

 

悪い出来事があったとき、必ずではないですが、どこかで秘密が出来上がる。

「秘密は悪いものなのか」とこの曲を聴いて考えた時に

秘密より悪い状態があることに気づいたんです。

 

それは自分にすら何かを隠してしまうこと

 

つまり全てを忘れてしまおうとすること、自分にすら嘘をつくこととも。

それは「秘密」ではなく「大嘘」になってしまう。

 

そうするとその出来事では苦しむことはなくなるけども、もっと漠然とした巨大な苦しみが襲ってくる。大きな影が。

 

「秘密」とは自分の悪の証拠であり、それもちゃんと肯定すべき自分である。

だから目を背けずにしっかり掘り返して、目に見えるようにしておく。

ちょっと苦しいぐらいで、あとは自分にも相手にも優しくすればいい。

 

影を否定することはいつだってできない。

だから自分はこういう、影を肯定して歌ってしまう曲ほど、とても気持ちよくて開放感を感じます、もう非の打ち所がないですから。

 

そういう意味で自分の中で、とても名曲に感じます

 

そういう意味でこの曲は作られたんだと思います、きっとね(言いたかった)